時のかけら~統制陶器~

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通い徳利(貧乏徳利)・その3

 ここで紹介している通い徳利(貧乏徳利)は主に東日本から東海(関東から三重県)で流通したようです。これは東海道や太平洋沿岸の物流によってもたらされたものでしょう。それとともにこの地を管理していた尾張藩の影響もあったとのことです。 
 さて今回の物はその東海道にも少し関係してくるのかな?というもの。

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『米兼』 酒屋の名前でしょうがわかりませんでした。

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『川名』 神奈川県藤沢市東部の町です。明治22年(1889年)、川名村は小塚村・高谷村・宮前村・弥勒寺村・柄沢村と合併し、川名は村岡村となり、昭和16年(1941年)さらに村岡村が藤沢市に合併されて以降は藤沢市となる。これは村岡村時代のものと推定されます。

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『電東?五八二六』 電話と言いたいところですが、『東』ですよね?『東電』ですか??
電話が普及すると電話番号を掲載する徳利が登場します。

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『昭和十年』 この年、第六号酵母が分離され、現在も利用されています。ただ、迫りくる戦争の足音と新興勢力のビールにそのシェアは狭まってゆくことになります。

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高台の造りは昭和二年の物と比べてもそん色はありません。

 美濃の通い徳利(貧乏徳利)造りは昭和12年(1937年)の支那事変(日中戦争)を境に生産は半減、さらにアルコール濃度数の規格制定により通い徳利は生産中止に追い込まれたという。

 その後、この地域では湯たんぽ(小判型やかまぼこ型)や飲料水瓶(どりこのやクワスなど)、その他、容器類を生産してゆきます。

 今でも湯たんぽは生産していますし、地域の入り口には通い徳利で彩られたモニュメントがあります。機会があればご覧ください。


 
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by richouken04 | 2011-03-18 22:26 | 戦前参考品

戦時下(S15~S21)に焼かれたやきものを中心として


by richouken04