2014年 04月 05日
鹿児島の旅・その4 2014年3月30日
同じ美山地区。昔は『苗代川』と呼ばれていました。朝鮮半島から連れてこられてこの地でかの地の生活を守りながら暮らしていたようですが、その雰囲気も全く感じられません。
正直、本当にここは窯業地?
それを証明するように窯跡などが点在していました。
『御定式窯跡』および『南京皿山窯跡』です。左右のそれぞれ窯が築かれていたようです。名前が示すように一般で築かれた窯と違い薩摩藩の藩窯の性格を持っていました。真ん中の盛り上がりは物原(失敗作や窯道具の捨て場)となっているとのことです。
立て看板の付近や周辺には黒い陶片がゴロゴロとしています。形状からすると甕やすり鉢などのようです。苗代川のやきものは黒釉のやきものとして知られています。黒酢の甕などは苗代川産のものだったのではと思われます。
周囲には窯壁とみられるものもありました。何度も何度も火を受けてどろどろに溶けた灰が降り積もっては溶けてガラス状に固まっています。
こちらはもっと古い形式の窯跡です。
『堂平窯跡』は『五本松窯跡』のような細長く山の斜面に沿った窯跡です。屋根が付けられている分形状がわかりやすいです。ただ、歳月が土ぼこりを積もらせており、細かなところがわかりませんでした。
雰囲気的には岐阜県土岐市の『元屋敷窯跡』に似ていますね。
階段にはアリジゴク?が多数。
陶磁器という蟻地獄にはまった故の悲しき性かな
・・・つづく
正直、本当にここは窯業地?
それを証明するように窯跡などが点在していました。
『御定式窯跡』および『南京皿山窯跡』です。左右のそれぞれ窯が築かれていたようです。名前が示すように一般で築かれた窯と違い薩摩藩の藩窯の性格を持っていました。真ん中の盛り上がりは物原(失敗作や窯道具の捨て場)となっているとのことです。
立て看板の付近や周辺には黒い陶片がゴロゴロとしています。形状からすると甕やすり鉢などのようです。苗代川のやきものは黒釉のやきものとして知られています。黒酢の甕などは苗代川産のものだったのではと思われます。
周囲には窯壁とみられるものもありました。何度も何度も火を受けてどろどろに溶けた灰が降り積もっては溶けてガラス状に固まっています。
こちらはもっと古い形式の窯跡です。
『堂平窯跡』は『五本松窯跡』のような細長く山の斜面に沿った窯跡です。屋根が付けられている分形状がわかりやすいです。ただ、歳月が土ぼこりを積もらせており、細かなところがわかりませんでした。
雰囲気的には岐阜県土岐市の『元屋敷窯跡』に似ていますね。
階段にはアリジゴク?が多数。
陶磁器という蟻地獄にはまった故の悲しき性かな
・・・つづく
by richouken04
| 2014-04-05 22:53
| 骨董市と骨董屋