瀬648の土瓶
今日紹介するものは一見もっと古い時代のものかと判断しうるもので、よく探したものだと感心したものです。
全身に織部釉を掛け、丸くあけた窓に鉄絵の菊を描いています。この鉄絵はもっと古い時代のものと判断させる力があります。そうでしょう?東濃地区『岐』ではゴム印が全盛を極め、名古屋地区『名』では石版転写で精緻な絵付けをしているのですから。
上から蓋部分を見ます。蓋を受ける部分がかなり下に設けられています。これは蓋が容易に外れて落ちないようにするためです。明治~大正頃の汽車土瓶にこのような土瓶を見ることが出来ます。
また、注ぎ口はすっと出ていてこれも古い時代の形です。
反対面は鉄絵の菊が2つ付けられています。ヘラで表面を押さえて凹をつけています。
お茶ガラを受ける部分は胴に直接小さな穴を開けています。現代製は別に造ったガラ受けを貼り付けている作例が多いと思います。穴を開けた後で注ぐ口を付ける製造過程が見えてきます。
高台部は無釉です。内部の様子や高台部の様子から、何度も使用されていることがわかります。
高台脇には『瀬648』と見える凹印が打たれています。作例から考えると、瀬戸市赤津地区で製造されたものではないかと思われます。このあたりは今でも織部や志野などの伝統的な釉薬を使ったやきものを多く生産しています。
サイズは注ぎ口からの長さ18.2センチ、高さ12センチ。