韓国の旅・その4 海南郡珍山里窯跡をたずねて
今日はまず、最初に訪れた南海郡珍山里窯跡を紹介します。
まず、ここまで行くのが大変でした・・・。
8月16日朝、済州島(チェジュド)を船で木浦(モッポ)へ渡ります(正確には戻ったのですが)。昼頃に到着し、まず木浦にある『国立海洋遺物展示館』へと向かいます。市内バスもあるのですが、降車が困難ですね。高くつくのですが、タクシーが便利です。
『国立海洋遺物展示館(クンニプヘヤンユムルチョンシグァン)』のパンフレット。
ここでは韓国近海で発見、発掘された海洋考古学の遺物を展示しています。日本でも話題となった『新安海底遺物(中国陶磁器など)』をはじめ、『務安導里浦や郡山飛雁島の海底遺物(高麗青磁)』などのほか運搬に使用された沈没船をそのまま引き上げて展示してありました。
ここはフラッシュをたかなければカメラ撮影可能でしたが、展示室ごとに解説のガイドがいたのでちょっと気が引けて撮影できませんでした。
ここに収めてあるものは特級の良い品ではないそうで、特級品は今回は行けなかった国立光州博物館(クンニプグァンジュパンムルグァン)に収蔵されているとのことです。
なぜここを紹介するかというと、今回訪問の高麗青磁窯跡で焼成されて運搬、海に沈んだ製品がここに展示されているからです。
多少のハングルと英語がわかれば、地名の表記がわかります。そうすればバスなり、タクシーなりどこへ向かえばよいかが容易にわかるのです。
その後、木浦のバスターミナルまで市内バスに乗りこんで向かいました。ここは一番心細かったです。
木浦のバスターミナルから今度は海南(ヘナム)までバス。いくらか大きな町ですがやはり田舎町。バスターミナルもなんだか昭和30-40年代の雰囲気がある趣きです。
夕刻でしたのでホテル探しです。予約なんかしてません。
海南の宿。これで25000W(約2500円)。標準的な値段です。いわゆる連れ込み宿、密会の宿、ラ●ホ、シティーホテルとかいわれるところですね。でも、こちらではアットホ-ムで、受付で子供とすごす親の姿がよく見られます。ここでは中学生?位の女の子が対応してくれました。
次の日、珍山里(ジンサンリ)へと向かうべくまず昨日のバスターミナルへ行き、壁に掲げられた『海南郡観光案内図』を見て、目的地近くの町までの切符を買いました。
バスの運転手もちゃんと覚えていてくれて到着した時に「ここだ(たぶん)」と教えてくれました。
イヤ~、どうすんのよ。もっと田舎町じゃない!観光案内図いや、窯跡への標識ですら途中で見なかったし・・・・。
旅行かばんをごろごろ引きながら少し歩くものの埒があかない!引き返し、どうやってもボッタクられそうな個人タクシー(おそらくここ一軒しかない町のタクシー)にお願いする。
珍山里まではホンの10分ほどだった。到着したらしきりとハングルで一軒の家を指差して何かしゃべっている。何言われてるのかわからないがともかく「ふんふん」と相づちを打っていたらわかったのか、タクシー代4000Wを持って帰っていった。
とりあえず、高台に向かう。日本も韓国も窯跡は斜面地に存在する。どこかにそれらしいものが無いか歩き回るが、無い・・・ウウ・・・こういう時が一番つらい。
とりあえず珍山里遠景。
ある本に書いてあった『ここの窯跡は海岸沿いに存在していた・・・』という語句を思い出し、別の場所へ向かう。
あった!珍山里窯跡だ!!
韓国では多くの場所で干拓が行われているようで、ここもすでにアシの原が広がっていた。幸いにして最近この場所を耕運機のような大型農耕機で掘り返していたので陶片を採取することが出来た。
陶片の散布状況。採り放題・・・この時だけが至福の時・・・。
コンビニの小袋いっぱい採取して後にしました。
とても幸福だったのですが、とっても残念な場所でもありました。
実はこんな場所でした。ゴミ捨て場・・・。今までいろいろ見てきましたが、これほどの『史跡』は日本を含めてもなかったです。いや、別に責める訳ではないですが・・・ショックでした。
この後はタクシーで来た道を歩いて帰りましたが灼熱の太陽のもと汗だくでズボンまで汗が伝ってべとべとでした。次の日のことを考えて大都市の光州に宿を取り、部屋でごしごしと陶片の泥を洗い落としました。
珍山里高麗青磁窯跡採取の陶片たち。青磁とは言っているが、どちらかというと美濃の灰釉(ちょっと黄緑色)のような感じ。水分を吸っているので透き通っているが、乾くと白っぽくカセたようになりました。
一つ異質な色の青磁は現代製の青磁。
明日は康津郡沙堂里高麗青磁窯跡を紹介する予定です。