時のかけら~統制陶器~

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カテゴリ:統制陶器って何?( 35 )

自問自答

 統制陶器って戦争中、昭和16年から戦後すぐまでの焼き物ということだけれど、

 それだけを取り上げても唐突な感じになるんだよなぁ…と思うようになってきてます。

 陶磁器史としてみるならばそれ以前、それ以後も必要であろうということです。

 でも、

 それをすると今でも保管場所に四苦八苦している状況で…

 でも、

 やるなら今しかなさそうな気もしています。

 指標となるようなものを探して今日も

 リサイクルショップを巡っています。


 『また買ってきたの?』とは言いませんが

 『置き場所に困るね』と、奥さんに言われます…

 理解してくれることに感謝です。


 すいませんが、これからも購入します。

 『火鉢はやめてね』
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by richouken04 | 2012-07-07 22:31 | 統制陶器って何?
 瑞浪市陶磁資料館にて11月6日から特別展『番号の付されたやきもの-戦時下の瑞浪窯業生産-』が開催されます。

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 ポスター小ッチャ!

 すいません、PDFの出し方がわかりませんでした。

 詳しくはこちらです。

 瑞浪市陶磁資料館・23年度 行事予定|瑞浪市  

 会場は広いとは言えませんが、見る機会の少ない分野の展示ですので是非ご覧ください。
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by richouken04 | 2011-11-03 00:18 | 統制陶器って何?
 九州系と思われる国民食器とは?
 (あくまでも個人的区別ですのでお間違えなく。)

 九州の窯業地でいわゆる緑二重線入り食器(国民食器)といわれるものにはまだ出会ったことがありません。ただ、緑の線が太い線と細い線の組み合わせで製造された食器類はいくつか出会っています。
 とはいえ、これらが九州の窯元で製造されたものという確信のあるものは『肥28』(志田陶磁器株式会社)の統制番号のあるものくらいです。ただ、高台の造りの部分は東濃地域のものとは違いますので九州製なのかもしれません。

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 これは太い緑線と細い緑線の組み合わさった蓋の無い丼(大碗)でしょう。軍隊向けに製造されたものもあるのか、外側に星章のあるものもあります。高台内に『肥28』の統制番号があります。高台の釉薬と素地との接地部分が赤くなっているのも有田や肥前地区の製品に見られます。

 工場食器は今まで一点しか確認されていません。それも緑の二重線ではなく緑の線一本です。

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 様式からして工場食器としています。どこの会社かはまったくわかりませんが勾玉のようなマークは特徴があります。こちらは有田の製品で高台内に『有20』の凹印が押してあります。洗練された製品が多い有田地区の製品の中では異色な製品ともいえます。

 九州地区の国民食器・工場食器についてはまだまだこれからの研究が必要です。


 遅筆ですいませんでしたが、これで終わりです。

 おわり。

 
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by richouken04 | 2010-05-19 15:51 | 統制陶器って何?
 りちょうけんさんのコレクションのなかで緑二重線入り食器はどれくらいあるのだろうか、そしてどのような地域傾向があるのかを探ってみた。ここでは生産地が判別できる統制番号の製品で見ています。

 ◎国民食器(ここでは緑二重線入りで他に文様の無いもの)と工場食器(社章や名前のあるもの)、絵付けされているものの総計
 
 ・東濃地区(岐阜県)

  西南部(多治見市)地区・・・14点(国民食器11点 工場食器3点)
  
  土岐津(土岐市・一部多治見市)地区・・・35点(国民食器29点 工場食器4点 絵入り食器1点)

  妻木(土岐市)地区・・・21点(国民食器13点 工場食器7点 絵入り食器1点)

  下石(土岐市)地区・・・0点(今のところ確認無し)

  駄知(土岐市)地区・・・11点(国民食器

  瑞浪(瑞浪市)地区・・・20点(国民食器11点 工場食器9点)

  恵那(瑞浪市)地区・・・10点(国民食器9点 工場食器1点)

 ここから見えてくるのは土岐津地区での生産が一番多く、妻木地区、瑞浪地区と続いている。ただ、瑞浪地区での製品は『美濃窯業株式会社(岐1065)』で生産された製品が多く存在している。
 反対に下石地区では一点も確認されていない。これはおそらく東濃地域における生産品の割り当て上、皿などを生産していなかったからであろう。また、番号が不鮮明で地域が特定できなかった製品もいくつかあることを記しておく。
 絵付けされた製品は2種類あったがひとつは上絵付けされた子供茶碗で、もうひとつはイッチンで下絵付けされている。全体で見れば数は少ないものの、この食器の性格を考える上で重要ではないだろうか。

 ・瀬戸地区(愛知県)

  瀬・セ・・・10点(国民食器7点 工場食器1点 絵入り食器2点)

 ・品野地区(愛知県)

  品・・・3点(国民食器3点)

 瀬戸地区と品野地区は現在、瀬戸市となっている地域と思われる。窯元数では東濃地域とそれほど遜色はなさそうだが、緑二重線入り食器だけを取り上げて比べるとかなりの差異が出ることがわかる。
 瀬戸地区で絵付けされた国民食器の丼が存在しているが、こちらは緑線の上から紅を刺して上絵付けされているため戦後の流通品であろう。

 その他の地域では

 ・名古屋地区(愛知県)

  名・・・1点(工場食器1点)

 名古屋地区は瀬戸地区や東濃地域から素地を購入し、上絵付けする仕事が確立されていたためこの一点もどちらかの地域から搬入されたものであろう。

 九州地域では緑二重線入り食器でも緑線が均一な太さの線ではなく、どちらかが太い線になっているのが特徴といえる。

   
 つづく


 
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by richouken04 | 2010-04-24 16:53 | 統制陶器って何?
 国民食器という名称はところどころで見かけることが出来るが、工場食器という名称はどうだろうか。こちらは私自身が国民食器と区別するために使用しているが今のところ当時の新聞などで見かけたことは無い。
 特徴は社章らしいマークや社名の文字が付けられているものでそれなりの資金がある大きな会社に限られるのではないだろうか。
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 また、少数ながら学校を示すと見られる『学』の旧字体や病院を示すと見られる『医』の旧字体を用いた緑二重線入り食器類も見られる。病院名のある病院用食器では戦後の製造と見られる高台内に銘の無い食器類も見られるので相応の需要があったのであろう。
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 ・戦後と見られる緑二重線入り食器
 先の『美濃窯業株式会社』によれば戦後も生産を続けたものの、昭和30年代を境に生産を縮小させてゆきました。それでも今でも少数ながら生産は各地で続けられているそうです。
 これは陶片狂さんが入手された絵入り緑二重線入り食器。私自身は最近作られたものだろうと見ています。
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 つづく 
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by richouken04 | 2010-03-24 11:40 | 統制陶器って何?
昭和9年に『厚口食器(二本筋入)』と種別されていたと思われる食器類が国民食器だと仮定すると、では『国民食器』という名称はいつ登場してくるのだろうか?


 そこは私も知りたいところです!

 
 ちょっとブログ風に書いてみましたが、まぁ、それはそれとして・・・

 『国民食器』という名称が見られるのはいつでしょうか。調べてみると昭和17年8月30日の大阪朝日新聞に『伊賀焼の国民食器』という見出しの記事が今のところ、自身の知る中で一番古い記述になります。

 『国策の線に沿う国民食器が制定されようとしてゐる折柄・・・(以下略)』

 この頃にすでに名称が出来ていたことがわかる。ただ、デザインについてはまだ決定されていなかったようだ。新聞記事でも三重県窯業試験場伊賀分場で国民食器の試作が行われたことが書かれている。写真も掲載されているものの、はっきりとデザインがわからない点が残念なところです。

 ・・・・・・

 岐阜県の新聞記事ではどうかというと、手元にきちんとした新聞記事が整っていないので申し訳ないです。
ただ、自身のうろ覚えでは昭和20年の岐阜空襲後に被災者向けに国民食器を配給する(した?)との新聞記事が掲載されています(岐阜県立図書館の新聞マイクロフィルムにて参照)


 つづく 
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by richouken04 | 2010-03-21 15:23 | 統制陶器って何?
 大正時代には登場してくる緑二重線入り食器(まだこの頃は国民食器の名称は付付けられていない)。その後、この食器に関する文献を調べてみると、昭和9年6月10日発行の『美濃の陶業(』なる冊子にそれと思われる記述が見られる。
 『日本陶磁器工業組合連合会生産分野』という項目があり、日本陶磁器工業組合連合会がこの時点で生産品と製造地域を統制していたことがわかる。その中に『厚口食器(二本筋入)』の名称が見られる。これは緑二重線入り食器のことではないかと思われる。

 そこに示された生産地は『瀬戸 岐工聯(岐阜県陶磁器工業組合連合会の略称)(西南部、瑞浪)』になっている。これは瀬戸地区と東濃地域の西南部(多治見・笠原・市之倉)地区と瑞浪地区での生産を許可したとのことで他の地域では生産してはいけないことになっていたのである。

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 統制陶器を見てみると産地を示す記号では『瀬(瀬戸)』・『岐(岐阜県)』・『品(品野)』の三地区がみられる。印銘の付け方や器種はいろいろあるものの次のようになるだろう。(上部・『岐289』煎茶碗、下部・『瀬609』小皿)

 ・茶碗(汁碗形を含む)
 ・湯呑(煎茶碗形を含む)
 ・蓋付き丼
 ・小鉢
 ・皿(丸皿・多角形皿)

 比較的現存数が多いのはサイズはいろいろだが、皿であろう。反対に少ないものは小鉢でこれは戦時下の食糧事情によるものであろうか。


 つづく
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by richouken04 | 2010-03-14 00:26 | 統制陶器って何?
 その他の地域ではどうだったのだろうか。

 東濃地域の瑞浪地区にあった美濃窯業株式会社(統制番号は岐1065)に問い合わせたところ、以下の回答を得ることができた。

 『当社は大正7年8月耐火煉瓦の製造を目的として設立、翌8年地元産業である陶磁器の製造を併業開始しました。大正9年片倉製糸(株)(現片倉工業株式会社)の社員食堂用食器を大量に受注し、以来紡績、船舶、工場、病院等の集団給食用食器のトップメーカーとして定評をいただいてまいりました。
 特に戦前、戦中、戦後と全国的に販売された「グリーン2線」社章(マーク)入り食器は「美濃硬質磁器」としてご愛用をいただきました。
 戦後の復興期から成長期においては再びその最盛期を迎えましたが、昭和30年代に入ると、この市場に化学食器(メラミン、ベークライトなど)が参入し、その取扱い易さなどから陶磁器の市場縮小を余儀なくされました。
 「グリーン2線」の生産開始は大正9年以降と思われますが、確たる記録は不明です。』

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 これは胴部に『片倉 廿周年記念』の文字がみられる湯呑。片倉製糸紡績株式会社(大正9年・1919年に設立)に納入されたひとつであることがわかる。また『廿周年記念(二周年記念)』とあることから大正10年製と推測できる。ただ、高台内には製造メーカーの印は無いため、これが美濃窯業株式会社で生産されたものかは確認できない。

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 こちらは以前紹介したが胴部に『昭和6年10月20日』の年月日が付けられている湯呑。これは記念品として配布されたものだが、この頃には国鉄向けにも食器を造っていたと思われる。
 高台内の扇のマークがこの会社のマークであることは他の製品によって判明している。

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 ちなみにこの製品の登場によって扇マークが美濃窯業のマークと判明した。旧字体の『医』の文字が見えることから病院か医大で使用された食器であろうが、どこかはわからない。


 つづく
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by richouken04 | 2010-03-13 01:08 | 統制陶器って何?
 国民食器と工場食器はどちらも厚手の素地に緑二重線が入る(工場食器にはさらに社章が入る)食器類のことです。茶碗、丼、皿、湯呑の4種類の和食器と肉皿(プレート皿)、スープ皿の洋食器類が存在しています(洋食器についてはまだ種類があるかもしれません)。

 この食器類がいつから登場してくるかはよくわからないところがあります。それは輪線のみのシンプルな文様で構成されているからです。しかし、江戸時代や明治時代の和食器類にはこのような輪線のみの製品はかなり数が少なく一般的ではなかったようです。
 明治時代以降、陶磁器が輸入や輸出されるようになってからは肉皿(プレート皿)にこのような線だけの製品が登場してくるようです。ですから私個人としては、この文様はヨーロッパが発祥だろうと考えています。

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 これは時代はわかりませんが、高台内にドイツ語らしき文字が書かれていることからヨーロッパで生産されたものでしょう。緑線は一本ですが、線の描き方などは国民食器とまったく同じです。

 ・日本での生産はどうだったのでしょうか。
 
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 大手メーカーでは日本陶器(現ノリタケ)がこの手の食器類を生産している。これは緑線が2本入っているものの、国民食器に見られるような緑線ではなく、一本は太く描かれている。日本陶磁器工業組合連合会の取り決めに配慮してのデザインなのかもしれない。他にも緑二重線の間にピンク線が入るものも存在している。
 高台内の裏印はヤジロベー印とも呼ばれるもので明治44~昭和15年ごろまで国内向け食器類に使用されたものといわれる。裏印の使用期間が長いためいつごろの生産品か確認が難しいが高台の作りなどから昭和時代と推定している。



 つづく
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by richouken04 | 2010-03-06 20:38 | 統制陶器って何?
 炊事の道具のうち、今回は土瓶とヤカンを紹介してゆきます。土瓶は産地により多少の差異があるようです。『岐』と『瀬・セ』と『万』は数が多いですので今回はその他の地域の製品です。(ちなみに急須は含みません。急須=片手の取っ手を持つもの)

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平佐焼とおもわれる小土瓶。鹿児島県の窯元で染付や白磁など焼いています。朝鮮半島から連れてこられた陶工たちが開いた窯場で、釉調も朝鮮半島のやきものをほうふつとさせます。

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波15の土瓶。まん丸でちょっとかわいらしい形です。瑞雲に龍を描いていますがちょっとスリムというかひょろっとした龍ですね。デットストックの状態で出てきましたので傷つきやすい口部にはわらが付けられています。ふた裏にはマル公のラベル(初期のものか)が張られています。『波15』の呉須印が付けられています。

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波33の土瓶はうって変わって大きなもので形も凸凹(ろくろ目を強調)で個性的です。文様は踊る僧侶と呼んでいますが、鎌倉時代の宗教家、時宗の一遍上人を描いたものとおもわれます。この文様と同じ湯呑も存在しています。九州には建治2(1276)年に念仏勧進しています。(提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
ふた裏に『波33』の呉須印がついています。

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常107のヤカンは全面を光沢のある鉄釉をかけている。土瓶とヤカンの違いはひとつに文様があるかないかがあります。これにはまったく文様が無く、ヤカンとわかります。ヤカンは数多く造られたようですが現存数としては土瓶より少なそうです。
 底部に『常107』の凸印がついています。

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常109の土瓶は常滑地区に限らず、土瓶のなかでも名品としてよいものでしょう。鉄瓶を写した物ですが窓に梅花はマイナーな文様ですが堂々とした力強さがあります。
底部に『常109』の凹印があります。

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『トコナメ マル五』のヤカンは戦前か戦後すぐかわかりませんがいわゆる代用品のひとつでしょう。ヤカンはこげ茶色の釉薬を使用することが多いのですがこれは明るい茶色で面白いものです。
底部には『トコナメ マル五』の凸印がついています。『マル五』は『丸五製陶所』を指し示しているのでしょう。

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京252の土瓶は以前、紹介しましたが画像を鮮明にしました。歌川広重の『東海道五十三次』のうち『原』を描きます。原画も余白を生かして富士山を大きく描き、その雄大さを強調しています。底部脇に『京252』の凹印がついています。

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京252の土瓶は籠目文様でしょうか。胴部に溝を彫り、緑釉をさしてすっきりと仕上げています。小ぶりなサイズです。取っ手はつるで作られた当時のもの。こういった取っ手はサイズの大小の関係なく付けられていますが、取っ手を付けるか付けないかで価格は違ってくるようです。(公定価格表の記述による)
 底部脇に『京252』の凹印がついています。

 
 次回は『万』(三重県四日市市)の製品を紹介してゆきます。
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by richouken04 | 2009-11-12 18:16 | 統制陶器って何?

戦時下(S15~S21)に焼かれたやきものを中心として


by richouken04