国民食器と工場食器 その4
そこは私も知りたいところです!
ちょっとブログ風に書いてみましたが、まぁ、それはそれとして・・・
『国民食器』という名称が見られるのはいつでしょうか。調べてみると昭和17年8月30日の大阪朝日新聞に『伊賀焼の国民食器』という見出しの記事が今のところ、自身の知る中で一番古い記述になります。
『国策の線に沿う国民食器が制定されようとしてゐる折柄・・・(以下略)』
この頃にすでに名称が出来ていたことがわかる。ただ、デザインについてはまだ決定されていなかったようだ。新聞記事でも三重県窯業試験場伊賀分場で国民食器の試作が行われたことが書かれている。写真も掲載されているものの、はっきりとデザインがわからない点が残念なところです。
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岐阜県の新聞記事ではどうかというと、手元にきちんとした新聞記事が整っていないので申し訳ないです。
ただ、自身のうろ覚えでは昭和20年の岐阜空襲後に被災者向けに国民食器を配給する(した?)との新聞記事が掲載されています(岐阜県立図書館の新聞マイクロフィルムにて参照)
つづく