岐662の工場食器(皿・湯呑)
昭和19年には学徒勤労令・女子挺身勤労令が公布され強制的に軍需工場などで生産に従事することになった。昭和19-20年にかけてはサイパン島や空母から編隊を組んで飛来する米軍の都市空襲により、多くの工員が犠牲になった。
今日はそんな工員たちが工場の食堂での食事に使用していたであろう食器を2つ紹介する。
生産現場(窯元)ではグリーン2線入り食器と呼ばれる工場食器の小皿である。普通はグリーン2線のみのものが大半だが大きな会社ではその会社の社章を入れる例が見られる。
これは戦前からの戦闘機の製造メーカー、中島飛行機の関連工場で使用されたもののようだ。同社の社章と「中島飛行機・株式会社・尾島機械(材か?)工場」とある。
群馬県尾島町に部品工場があったのでそこで使用されたものではないかと思われる。
皿としてはごく平凡なもので、石膏型による鋳込み成形、高台には『菊水』と『岐662』のクロム釉印がある。『菊水』は後醍醐天皇に最後まで忠誠を尽くした楠 正成(くすのき・まさしげ/現在は楠木正成と表記する)の旗印だったことからこの頃、部隊名などに使用されていた。
サイズは測り忘れ。番号から現在の岐阜県土岐市妻木町で生産されたことがわかる。
こちらはグリーン2線入り食器の湯のみである。グリーン2線の下に三菱の印があるので三菱財閥(当時)のどこかの工場で使用されたものだろう。上記の物のように確定できる文字もないためわからない。
三菱財閥の会社工場も軍需物資や戦闘機を製造していたので多くの学徒が動員され、空襲で亡くなった方も多い。
こちらも石膏型による鋳込み成形で高台内に『四角二重枠に岐662』とクロム印がある。
サイズは幅6.9センチ、高さ7センチ。