2006年 01月 13日
日記帳
アメリカ・イギリス・オランダとの戦争が始まった昭和16年年末以降、茶道具が製造され、使用されたなど想像が出来ないと言われる方もおられよう。
しかし、実際に統制番号を持つ茶道具は存在している。また、昭和17年に記された日記帳には茶の作法を習いに行った日のことが書かれている。
昭和17年に日記には学校の卒業から就業、旅先のことが飛び石ながら書かれている。本人の日常生活一般のことが多くを占めており、当時の社会環境についてはほとんど書かれていない。
茶の湯の作法についての記述では
『今日は月曜日でお茶の日、・・・(略)・・・○○さんと2人で、だれも見ていない所でやれて安心した。戦陣茶箱とか言ふ御手前が今度出来たのだ そうで、それをやった。・・・(略)・・・お月謝 5円の由。来週わすれず持参のこと』
『戦陣茶箱』なるお点前(日記中では御手前とある)についてインターネット上の検索では出てこなかったが、東京の茶道会館へ質問したところ返事がありました。
「戦陣茶箱」とは「陣中点(じんちゅうだて)」に使われた茶箱のことだと思います。「陣中点」とは現在の「和敬点(わけいだて)」で、裏千家の十五代家元(現在は大宗匠)鵬雲斎宗匠が戦場に茶道箱を持って行き、点前をしました。
和敬点で検索すると、現在でも作法の一つとして伝えられていることがわかります。詳しいことは本を見るしかありませんが、点前の中では比較的やさしい部類だとのことです。
それにしても昭和17年当時で5円の月謝。畳屋の一日の賃金が3円30銭との資料がありますから結構な金額だと思います。
しかし、実際に統制番号を持つ茶道具は存在している。また、昭和17年に記された日記帳には茶の作法を習いに行った日のことが書かれている。
昭和17年に日記には学校の卒業から就業、旅先のことが飛び石ながら書かれている。本人の日常生活一般のことが多くを占めており、当時の社会環境についてはほとんど書かれていない。
茶の湯の作法についての記述では
『今日は月曜日でお茶の日、・・・(略)・・・○○さんと2人で、だれも見ていない所でやれて安心した。戦陣茶箱とか言ふ御手前が今度出来たのだ そうで、それをやった。・・・(略)・・・お月謝 5円の由。来週わすれず持参のこと』
『戦陣茶箱』なるお点前(日記中では御手前とある)についてインターネット上の検索では出てこなかったが、東京の茶道会館へ質問したところ返事がありました。
「戦陣茶箱」とは「陣中点(じんちゅうだて)」に使われた茶箱のことだと思います。「陣中点」とは現在の「和敬点(わけいだて)」で、裏千家の十五代家元(現在は大宗匠)鵬雲斎宗匠が戦場に茶道箱を持って行き、点前をしました。
和敬点で検索すると、現在でも作法の一つとして伝えられていることがわかります。詳しいことは本を見るしかありませんが、点前の中では比較的やさしい部類だとのことです。
それにしても昭和17年当時で5円の月謝。畳屋の一日の賃金が3円30銭との資料がありますから結構な金額だと思います。
by richouken04
| 2006-01-13 00:39
| 戦中期参考品