陶磁器製代用品
陶磁器製代用品と緑二重線入り食器類と軍隊向け食器類
この3つは特にこの時代を代表する焼き物といってよいのではないでしょうか。統制陶器をよく知らない業者さんでもこれらについては『戦争中のもの』との認識があります。
それぞれについて見てゆきましょう。今日は陶磁器製代用品について。
代用品とひと言でいってもその意味はいろいろとあります。これについては瀬戸市歴史民俗資料館の『<代用品>としてのやきもの』図録内で詳しく述べられております。(おそらく品切れ中ではないかと思われますので入手できるかどうかわかりません。)
抜粋しますと、ここでいう陶磁器製代用品とは
①金属製品をそのまま陶磁器で写し製造したもの(ヤカン・鍋・ガスコンロなど)
②陶磁器以外の素材でも存在していた製品の陶磁器製品に対しての呼び名(火鉢や帽子掛け、線香立てなど)
③機能という点を取り入れたもの(缶詰代用の防衛食容器)
陶磁器製代用品のほかに木や竹、布・紙、魚の皮までさまざまなものでさまざまな代用品を製造した、あるいは造ろうと努力をしたことが知られています。
代用品はいつから造られるようになったのか?
上記の図録では昭和13年を契機として紹介している。ちょうど支那事変(日中戦争)勃発の翌年に当たります。さまざまなものが考案され、試作され・・・消えていった。

磁器製の靴のかかと(左:男性用、右:女性用といわれる)
これなどは簡単に製造できそうだが、結局は使いにくいとのことで廃棄されたという。石畳のような舗装された道では役に立たなかったことだろう。

陶器の煙管(キセル)
これなどは大ヒット商品で、製造元の主人は『(戦中から敗戦後にかけ)100万本くらい造った』との証言を遺している。私、これ100本くらい持ってます。
陶磁器製代用品はそのほとんどが消えていったのではないでしょうか。残っているものとすれば、茶道具としての陶製茶釜、仏具の線香立て、代用品の流れを受けているかどうかはわからないけれど土鍋(最近はご飯を炊く土鍋も登場して人気を博している)くらいなものです。
物が不足している時代だからこそ誕生した流れ星のような存在、といえますね。