時のかけら~統制陶器~

tokinokake.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:統制陶器って何?( 35 )

時代区分を考える

 戦時中から戦後にかけてのやきもの(ここで取り上げる『戦時中』とは昭和6年の陶磁器工業の統制のはじまりから大東亜戦争終結までの時期を示します。戦後は占領期から独立後、昭和30年までです)を取り上げて何年か経過しきました。当初考えていたよりも生産品種の裾野が広く、文様も多岐にわたることがわかりました。中には『これが戦時中の製品か?』と見まがう物もちらほらと登場しました。
 そこで、個人的な見解ながら入手できた資料・出版された本などからこの時代のやきものの時間的な経過を見てみたいと思います。

 ・・・・・

 戦時中から戦後までのやきものを主な出来事を軸として時間枠にしておおまかに区切って見ると次のようになりました。

 ①昭和初期のやきもの
c0004987_13173352.jpg

 和洋折衷のデザインやモボ・モガを想起させる幾何学的なデザインが積極的に登場する。もちろん大正時代からのデザインも混同している。(洋食器・和食器)

 ②満州事変・支那事変などがおこる昭和10年代のやきもの
c0004987_12454268.jpg

 戦時体制が進む中で『軍隊徳利』や『軍隊盃』などを含む、さまざまな勇ましいデザインの製品(それぞれの名称付き)や東濃地域(岐阜県)ではじまる『スープ皿共同販売制度』のはじまり(スープ皿銅版統制証票をつけたスープ皿・洋食器・和食器、名称や年号入り))

 ③昭和16年3月から各地で企業合同がおこなわれるまで 
c0004987_12513074.jpg

 製品への統制番号(生産者登録番号)の焼付けやラベル貼付けが実施され、さらに複数の業者をひとつの会社に合同させる政策が進められる時期の製品、家庭からの金属類の回収や寺院での仏具回収が本格的になる昭和17年など。(洋食器・和食器、昭和17年でほとんどの洋食器生産が止まることと企業合同により転業・廃業する窯元が出てくる)

 ④昭和18年から昭和20年の戦争終結まで
c0004987_12524236.jpg

 『撃ちてし止まん』・『米英撃滅』など戦時スローガンが付けられた製品や陶製兵器などが登場する。代用品生産も品種により製造量の差が表れてくる。(和食器)

 ⑤占領期から独立まで
c0004987_12551477.jpg

 戦中に出荷できなかった在庫に絵付けした製品や石膏型をそのまま使用して製造した製品などが国内で流通。輸出が許された製品には『Made in occupied Japan』の印が付けられる。 (洋食器・和食器)
 
 ⑥独立後、昭和30年代くらいまで
c0004987_1364024.jpg

 昭和20年代には確立・普及されていない『シルクスクリーン転写』の上絵付けが施された製品が未確認ながら確認されている。 これらは在庫として残っていた製品に絵付けしたと考えられている。また、これらは正式にシルクスクリーン転写された製品と認定されたわけではないのでここでは未確認ながらの確認と表現しました。(洋食器・和食器)

  *あくまでも個人的な時間的分類・表現なので各学会や研究と相容れない部分があることをご了承ください。

 問題はこの時代の窯業に関しての資料の散逸などにより調査・研究がほとんど進められていない点です。これは特に戦時中に限ることは無く、明治以降の一般向け食器類(産業製品)に関する関心が高くなかったことも一因としてあるようです。
 最近ではその関心も各地で高まりつつありますので今後のさらなる研究・資料の出現に期待したいと思います。
[PR]
by richouken04 | 2008-10-05 22:21 | 統制陶器って何?
 他の産地はというと東濃地区とは違った様相が見えます。東濃地区では高台部分が茶碗の直径と比べ非常に小さく、逆三角形のように感じられるものが多いのに対し、瀬戸や有田の製品は高台の径が大きく、ハの字型になっているものが多いので逆台形に感じられます。
 波佐見については類例が少ないのではっきりとしたことが言えませんが、有田地区のものに似るのではないかと思います。

c0004987_1617241.jpg
c0004987_16191170.jpg

 瀬330の茶碗
 大振りなので特に逆台形方を感じることが出来る。瀬戸の統制番号付きでは全体的に高台が大きいものが多い。高台内の内径も東濃地区と違い内径と外形の差が少ない。成型時に内部を削っているのだろう。

c0004987_16195736.jpg
c0004987_1622523.jpg

 瀬757の茶碗
 野菊文様で覆われた茶碗。高台は小さいものの、ハの字型になっている。 
 
c0004987_16235190.jpg
c0004987_16242896.jpg
c0004987_16251842.jpg

 瀬戸の製品には屋号あるいは会社名と思われる銘が入ったものが特に多い。『東陽軒平八製』、『東陽軒春山』、『佶山園』、『愛知』、『比良』、『陶山園三浦』などです。他の産地でも見られますがこれほど多くはありません。

 ・・・・・

c0004987_16261058.jpg

c0004987_1629513.jpg
 
 有15の茶碗 
これは普通サイズですが逆台形に見えます。高台は薄く削られているのがわかるかと思います。

c0004987_16301986.jpg
c0004987_1632199.jpg
c0004987_16324633.jpg

 肥19の茶碗
 高台は小さいのですが形状はハの字型になっています。また、内部も薄く削られているのがわかります。


 
[PR]
by richouken04 | 2007-11-29 16:33 | 統制陶器って何?

茶碗について

 茶碗は万古焼(三重県四日市地域)を除く各産地で生産されている。大きく分けると蓋付きと蓋無しの茶碗に大別される(昭和16年11月 陶磁器製飲食物容器公定価格表による)。
 ただ、骨董市で見かける多くは蓋が無い、これは蓋が失われたものが多く含まれているためと考えている。実際ふちから蓋へ続くと思われる文様がつけられた茶碗なども存在している。

 茶碗も山水文様については皿と同じような違いが見られるが他の絵柄での識別は難しい。ただし、その形状には若干の違いが見られるのでそれを参考にして産地を推測できるかと考えている。

 茶碗で一番見つかっているのは『岐』で『瀬』、『有』と続く。今日は『岐』のものを紹介します。『岐』の茶碗の形状を大別すると3つに分かれます。『高台からまっすぐ立ち上るもの・丸く立ち上がり外に反るもの・丸く立ち上がりふちで折れて立ち上がるもの』でしょうか。

c0004987_15341.jpg

 岐19の茶碗
 これは高台からまっすぐ立ち上がるタイプです。この角度が鋭角になるものは戦後のものです。逆ハの字型です。

c0004987_155657.jpg

 岐270の茶碗
 これは丸く立ち上がり外に反るタイプ。文様は陽刻(凸文様)やらせん・絵無しなどあります。特にこれらは『汁茶碗』とも呼ばれますが茶碗として掲載しています。

c0004987_164917.jpg

 岐82の茶碗
 丸く立ち上がりふちで折れて立ち上がるタイプです。丼の形状といえば早いですね。数は一番少ないです。絵が無く、釉薬も茶や黒など地味なものがほとんどです。

 形状のほかでは、高台の形も参考になります。『岐』のものは高台が小さいのです。また、高台内部もハの字型になっています。

c0004987_175079.jpg

 岐270の高台部分、内側が狭いことがわかるかと思います。また、この内壁に縦の筋が残ることも特徴のひとつかと思います。



 
 
[PR]
by richouken04 | 2007-11-25 01:09 | 統制陶器って何?

東濃の製品

 前回分を読んだだけだと東濃・瀬戸地域の皿は見た目つまらないものばかりだと思われてしまうような気がしてしまいました。実際のところは当然違います。

 昭和以前よりアメリカを中心とした輸出用陶磁器の多くは東濃・瀬戸地域で生産された白素地(白磁、絵付けする前の段階)でした。それを名古屋で絵付けして輸出したわけです。

c0004987_1401376.jpg
c0004987_1424615.jpg

 銅版統制証票付きスープ皿(昭和10年下期以降)
 東濃地区で生産されたスープ皿には2枚目写真のようなマークが入れられている。文様はラスター彩と転写で比較的簡素な絵付けになっている。東南アジア方面へ輸出される予定だったものが国内に残っていた。

c0004987_1452992.jpg
c0004987_1461832.jpg
c0004987_1475094.jpg

 カップ
 中国風の絵が転写されており輸出向けとしてデザインされた可能性が高い。『魚龍変化』は登龍門へと向かう鯉をイメージしてつけられたものであろう。同じ絵付けで統制番号の入ったものがあるのでこの地域のものとわかる。
[PR]
by richouken04 | 2007-11-24 01:48 | 統制陶器って何?
 前回分、個人的に後半部分がぐだぐだになってしまった感があるので再度仕切りなおし。

 いろいろな製品がある中でどの産地においても造られたのは『皿』であろう。この中には丸皿や変形皿、なます皿などが入る。直径30センチに近い大皿から直径7センチほどの豆皿までさまざまなものが生産されている。
 ただ一ヶ所、三重県四日市市の万古焼(記号『万』)では製品が確認されていない。この地の工業組合の発行した公定価格表にも皿の価格が記されていないので番号付きは生産していなかったのではと思われる。

 それぞれの地域で少しづつ文様に差異があり、この差異を知ることである程度の産地の判別が容易になると思われる。ここでは特に共通性があり、特徴がわかりやすい山水文様を取り上げてみます。

 『岐』(岐阜県多治見・土岐・瑞浪各市地域)

c0004987_2374265.jpg
c0004987_2382424.jpg

 岐282の皿
 『岐』のものはゴム印を押したあとの加筆が少ない、ものによっては加筆の無いものも多い。これも岩の一部に加筆があるのみです。

 『瀬』(愛知県瀬戸市地域)

c0004987_2392827.jpg
c0004987_23101492.jpg

 瀬253の皿
 『瀬』の皿は『岐』と同じようであるが、全体に加筆が認められる。ただ、山水文様の類例が少ないので考え方を見直す時期も来ることだろう。

 『有』(佐賀県有田町地域)

c0004987_23122037.jpg
c0004987_23133896.jpg

 有30の皿
 『岐』『瀬』と比べ手書きの雰囲気があるが眼前で見るとゴム印の上から加筆しているのがわかる。手書きの加筆が濃く、全体にいきわたる点・加筆の終末部のはらいに勢いがある点はこの地域の特徴といえる。

 『波』(長崎県波佐見町地域)

c0004987_23164439.jpg
c0004987_2318118.jpg

 波15の湯呑
 この地域では皿が一枚だけの発見で山水文様でもないので湯呑で代用しました。『有』に似た加筆の仕方をしています。
 
 
[PR]
by richouken04 | 2007-11-18 23:23 | 統制陶器って何?
 戦時中の統制陶器はどのようなものがあるのだろうか?

 今その見直しを行っている最中で、それぞれの産地により特に特徴的な差異があることがわかりました。それについてはまた項をかえて述べるとして、今日は大まかにどんなものがあるのか見てみます。

 食器といって真っ先に浮かぶのは『茶碗』でしょうか。それとも『湯呑』でしょうか。それとも『皿』・・・。どれをとっても日常のうつわとして身にしみている物です。

 茶碗、湯呑、皿、徳利、鉢、小鉢、丼、盃、洋食器、紅茶・コーヒーカップ、茶道具、神饌具などなど・・・
 その種類は今とほぼ変わりありません。ただ、これらのうちでも敗戦をはさんで高度成長期を歩むに従い生産されなくなるうつわもあります。

c0004987_2214391.jpg
c0004987_2232512.jpg

 岐989のなます皿(呉須印)
 江戸時代よりたくさん生産されたなます皿も戦後はその姿を消してゆく。生活習慣の変化が大きいと思われる。最近はお宝ブームなどで復刻されたものもあるようだ(偽物という意味ではなく)。

 また、この時期の食器はどうしても戦時色を兼ね備えていると考えがちになりますが、実際のところは子供茶碗や一部の食器を除いて強い戦時色を兼ね備えているものは少ないものです。ほとんどは静かで平穏な山水や庭園文様、あるいは野の花や園芸品種が文様として用いられています。

c0004987_2261649.jpg

 岐470の皿(凹印)
 漢詩を伴う庭園文様の典型的な一例、漢詩が読めないものも多い。特に漢詩に『別天地』とあるものは昭和16年より古いもののようで統制番号を伴うものでは現在わずか1種類のみが確認されているだけです。
[PR]
by richouken04 | 2007-11-11 22:07 | 統制陶器って何?

この時代のやきもの

 世の中から忘れ去られた感のある統制陶器ですが、このブログを始める前からこの存在を知っている骨董屋さんはかなりおられました。

 『ああ、戦時中のものね』

 だいたいはそっけない言いぶりで相手にもしてくれません。それでも関心を寄せてくださり探してくれるお店もちらほら。とてもありがたいことです。

 ただ、問題なのは・・・

 数なんですよね。

 この時代のやきもの(他の時代もそうではあるが)かなりまとまった数で出てくることが多く、多い時には30とか50とか、少なくても5とか10出てくることがあります。
 大家族・地域社会の強固なつながりを反映してたくさん所有されていたんですね。そういうのが市場に出てくるんです。

 伊万里や図変わりの印判でもなければ買い手が付かないのが現状でして、お店からはまとめて引き取ってほしい旨を持ちかけられます。さすがに10とか20となるとよほどのことがないと手が出ません(出しません)。

c0004987_17361872.jpg
 
 瀬100の蓋付き茶碗
 共箱(購入と同時に作られた箱)か不明なれど、収納袋まであるので資料的価値はあるのではないだろうか。ただし、30客入り。

 難しいところです。どこまで資料的価値を認めて購入するかは。
[PR]
by richouken04 | 2007-11-09 17:36 | 統制陶器って何?

軍隊向け食器類

 軍隊向け食器類については8月のその多くを紹介しましたのでここでは深く書き込みません。
 
 瀬戸市歴史民俗資料館の『<代用品>としてのやきもの』図録では『代用品』のひとつとして取り上げられています。これは当時の資料の中にこれらをその他の代用品と同じ項目に組み込んだからのようです。
 また、『アルミ製の食器の替わりになる』と軍関係者からお墨付きをもらったとの証言ものこっています。

 さすがに戦場に磁器製の食器を持ち込むことまでは考えていなかったでしょうが国内の駐屯地での使用品はこれらに変えようと考えていたのではないかと思います。

 軍隊向けは何も食器だけではなく、よく知られた陶製手榴弾や地雷、『秋水』用の燃料タンクのほか、先に紹介したキセルも納入されています。

c0004987_1551260.jpg

 信240の灰皿
 星章から陸軍向けかと思われます。

 1945(昭和20)年、8月15日を迎えるとこれらのものは本来の役割から別々の道を歩みます。

 手榴弾や地雷は当然のことながら使用できないように破壊され、地中に埋められました。
 燃料用タンクや蒸留用の大甕は物資の保管用になりました。

c0004987_157642.jpg
c0004987_1585041.jpg
 
 名陶の軍隊向け食器
 星章の部分に吹き墨で花を上絵付けして隠している。 

 混乱が落ち着いてくるとやがてこれらも多くがこの世の中から消えてゆく。
 
[PR]
by richouken04 | 2007-11-04 15:09 | 統制陶器って何?

緑二重線入り食器類

 ひろく『国民食器』の名で知られている食器類。緑の輪線が2本ひいてある物をさす。
 骨董市では若い方が『シンプルでかわいい』、『がっしりしていて使いやすい』と結構人気のあるものです。
 個人的には戦時中のやきものという観点から入ったものですから、そういった感覚は『えっ?』と思ってしまいます。

 さて、『国民食器』の愛称はいつごろから登場したのでしょうか?

 国策として『陶磁器製代用品』とともに登場したとの記載は見られますがはっきりしたところはわかりません(ただ手元に資料が無いだけかもしれません)。ネット上では三重県のHPで当時の新聞記事(昭和17年)が掲載されているのが見られます。→『県史Q&A-67

 昭和17年にはこの名称が使われていたことがわかります。確か朝日新聞岐阜版にも空襲り災者向けに国民食器を製造(昭和20年?)、云々の記事が出ていました。

 どんな器種があるのか。

 よく見かけるものは皿・湯呑・茶碗、他に小鉢・丼となります。この5品種が基本となって製造されていました。
 今までの経験上、統制陶器の国民食器はほとんどが『岐』でぐっと少なくなって『瀬』があります。他の産地では『日陶製』(現・ノリタケ)があります。

 珍しいところでは洋食器類も見つかっています。スープ皿や丸皿など一目でわかる品々です。

 
c0004987_22205621.jpg

c0004987_22215958.jpg


 岐1145の国民食器(洋食器皿・凹印)
 戦時期の洋食器は主に日本国内の外国人(インド人や中国人など)向けに生産されたとの記述があります。個人的には東南アジア・中国方面に輸出されたものもあるのではと考えています。

 日本人の持つ他の人と同じことをすることは美徳という思想をうまく取り込んだといえば悪い意味になりますが、同じ釜の飯を食うことで団結力や互いの信頼関係を築くことが出来ることも確かでこう捉えればよい意味にも思えてきます。


 *注*
 『国民食器』の名称に関してはさまざまな呼び名が存在(『国民食器』のほか、『工場食器』、『艦隊食器』、『病院食器』など)しているため他のページでは特に社章や名前が無い限り、見たままの『緑二重線入り食器』との名称を使用しています。 
[PR]
by richouken04 | 2007-11-03 22:48 | 統制陶器って何?

陶磁器製代用品

 戦時中の焼き物といってすぐに思い浮かべるもの、この時代に何かしらの興味を持って調べたり、何かを収集する方なら次の3つを思い浮かばれるのではないかと思います。

 陶磁器製代用品と緑二重線入り食器類と軍隊向け食器類

 この3つは特にこの時代を代表する焼き物といってよいのではないでしょうか。統制陶器をよく知らない業者さんでもこれらについては『戦争中のもの』との認識があります。

 それぞれについて見てゆきましょう。今日は陶磁器製代用品について。
 代用品とひと言でいってもその意味はいろいろとあります。これについては瀬戸市歴史民俗資料館の『<代用品>としてのやきもの』図録内で詳しく述べられております。(おそらく品切れ中ではないかと思われますので入手できるかどうかわかりません。)

 抜粋しますと、ここでいう陶磁器製代用品とは
 ①金属製品をそのまま陶磁器で写し製造したもの(ヤカン・鍋・ガスコンロなど)
 ②陶磁器以外の素材でも存在していた製品の陶磁器製品に対しての呼び名(火鉢や帽子掛け、線香立てなど)
 ③機能という点を取り入れたもの(缶詰代用の防衛食容器)


 陶磁器製代用品のほかに木や竹、布・紙、魚の皮までさまざまなものでさまざまな代用品を製造した、あるいは造ろうと努力をしたことが知られています。

 代用品はいつから造られるようになったのか?

 上記の図録では昭和13年を契機として紹介している。ちょうど支那事変(日中戦争)勃発の翌年に当たります。さまざまなものが考案され、試作され・・・消えていった。

c0004987_2155765.jpg

 磁器製の靴のかかと(左:男性用、右:女性用といわれる)
 これなどは簡単に製造できそうだが、結局は使いにくいとのことで廃棄されたという。石畳のような舗装された道では役に立たなかったことだろう。

c0004987_2172553.jpg
 
 陶器の煙管(キセル)
 これなどは大ヒット商品で、製造元の主人は『(戦中から敗戦後にかけ)100万本くらい造った』との証言を遺している。私、これ100本くらい持ってます。

 陶磁器製代用品はそのほとんどが消えていったのではないでしょうか。残っているものとすれば、茶道具としての陶製茶釜、仏具の線香立て、代用品の流れを受けているかどうかはわからないけれど土鍋(最近はご飯を炊く土鍋も登場して人気を博している)くらいなものです。

 物が不足している時代だからこそ誕生した流れ星のような存在、といえますね。
[PR]
by richouken04 | 2007-11-01 02:02 | 統制陶器って何?

戦時下(S15~S21)に焼かれたやきものを中心として


by richouken04