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時のかけら~統制陶器~

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岐17の紅茶碗皿

戦時下の生活において、敵国語を使用することは厳禁だったとよく言われている。
しかし、実際には英語も使用していたし、欧米スタイルの食事もとっていた。
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これは戦時下に焼かれた紅茶用の碗皿。洋食器に属するやきものは意外だが、昭和18年まで焼かれていた記録が残っている。これにはアルファベットで会社名が書かれているので、もっと古いと思うが統制番号のみのものも存在している。
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無論紅茶は輸入品だから限られた一部で使用されたと思われる。コーヒーの代用の炒った大豆のように、番茶を紅茶の代用にしたのだろうか。
by richouken04 | 2005-01-25 01:16 | 岐(岐阜県東濃地区)

岐959の皿

 明治時代に入ってから主流を占める手描きから印判と呼ばれる方法へ転換が図られた。
職人の技術に頼ることなく同じ物を生み出す印判は型紙から銅版、そしてゴム判へと推移してゆく。
 大正時代ごろには銅版とゴム判が使われ、昭和に入るとゴム判のみや、一部銅版というものも登場する。しかし、戦争の激化によりゴム判を使用する例が多くなっていく。
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図柄として大量に作られたのは庭園文や山水文の漢詩を伴う皿や茶碗。多くは松を中心に民家を描いている。一部に呉須で色付けをしているものもある。
掲載のものは岐阜県東濃地方の皿で、岐959の印を持つ。12センチほどの大きさ。
by richouken04 | 2005-01-17 01:27 | 岐(岐阜県東濃地区)

万152の貯金箱

日本人は貯蓄好きな民族だといわれる。
戦時中においても積極的に貯蓄することを何度も宣伝している。資源が少ない国土ならではの行動なのかもしれない。
 そんなお金にまつわるものとして目に浮かぶものに、貯金箱がある。戦前期にはアンチモニーなどの金属製の物も作られていた。以前金属器写しの貯金箱を掲載したが、こちらは見たままの金庫である。
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 これも万古焼きで、万152の陰刻印がある。底に穴が開いていないタイプ。(以前掲載した恵比寿様は穴が開いている。神様だから打ち壊すのは罰当たりということだろう)
金庫と貯金箱の合体から、『貯金庫』の名前がついている。
by richouken04 | 2005-01-16 15:41 | 万(三重県四日市市)

瀬828の湯たんぽ(1)

寒さも本格化して、すっかり真冬。あの暖冬は何だったのか。
そんな冬の必需品湯たんぽ。いつ頃から日本に登場したのかわかりませんが、明治時代には『かまぼこ型』のものが登場している。
 今でも作られる湯たんぽの形は掲載したものと同じ形が主流だと思うが、この当時はまだかまぼこ型や変形型のものも見られた。
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これは瀬戸のもので、瀬828の番号が陽刻状に浮き出ている。同じ瀬828の湯たんぽがあるが、意匠登録番号付き、スズメが陽刻されていたり面白い。
 今でも岐阜県多治見市の高田町では石膏型に土を流し込んでの湯たんぽ生産がされており、湯冷めが遅い、丈夫で長持ちするとの評価から見直されている。
by richouken04 | 2005-01-16 15:17 | 瀬・セ(愛知県瀬戸市)

岐412の湯呑み

昭和20年の終戦を境に日本人の生活習慣は目まぐるしく変わりました。食器の形態にもそれははっきり見て取ることが出来ます。
 今回はその中の湯呑みを紹介します。
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これは今では見かけない形ですが、湯呑みです。お茶でも煎茶を飲むための茶碗です。
今では湯呑みというと筒型のものを想像しますが、この時代は厳密に分けられていたようです。筒型のものもありますが、比較するとこの手の湯呑みが多いようです。
 岐412の陰刻印があります。おそらく石膏型で造られた物でしょう。窓絵に山水を描き、それを幾何学文に梅を散らした帯で結ぶ。これらは銅版転写の後、多用されたゴム判で付けられています。窓枠になっているのは、雪輪。古伊万里にも出てくる形です。今ではこれらの文様も食器に見ることは稀なことです。
 戦時中は古き文化が最後に残っていた時代とも言えるのではないでしょうか。
by richouken04 | 2005-01-07 02:06 | 岐(岐阜県東濃地区)

有155・防15の防衛食容器

c0004987_2136110.jpg 戦時中のやきものとして異彩を放つものは『防衛食容器』でしょうか。戦争が無ければこのようなものも考え出されなかったかもしれません。
 缶詰の缶の代用品として昭和14年ごろから研究され、昭和18年末から製造されました。
しかし、肝心の食べ物の確保が出来なくなり、そのまま終戦を迎えたようです。
現在確認しているこれらの容器は瀬戸地区と東濃地区(多治見市内)と有田地区での製造が確認されています。
 今回紹介するものは有田地区のものです。統制番号と『大日本防空食糧株式会社』への納入者の番号が2つついています。

c0004987_2140367.jpgc0004987_21404072.jpg同じ『防15』、『有155』でも蓋の文字や番号の無いものなどが見られます。しかし、仕様としてはどの生産地のものもほぼ同じです。





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by richouken04 | 2005-01-04 21:54 | 有(佐賀県有田町)
 太平洋戦争開始前(昭和16年のハワイ真珠湾攻撃前)の昭和16年3月より統制番号はつけられたのですが、戦争の拡大と物資の不足から時の政府は統制経済を推し進めていきます。
 統制の波はすべての産業で行われ、窯業分野においても各地の窯業地において生産者の企業合同が行われました。限りある資源を有効活用し必要なもの・量だけを造る。戦争時としては当たり前のことでしょう。
 たくさんの廃業者を出しつつも昭和18年ごろまでには合同が完了したようです。
資料が残る岐工連地区(岐阜県東濃地方)においても地区ごとに18前後の会社に合同されました。
 しかしいろいろな事情から合同後も廃業者は相次ぎ、また石炭鉱山や軍需工場への勤労奉仕などで昭和19年末ごろ、20年ごろはほとんど生産すらできない状況だったということです。
 戦後、企業合同は解散しました。その後は、合同時の名前を受け継ぐ会社、合同前の名前の会社、全く新たに名前をつけた会社が出来たのでした。
by richouken04 | 2005-01-03 10:08 | 統制陶器って何?

岐291と岐497の茶碗

おめでたい図柄のものを紹介します。富士山に鶴文大人用茶碗です。
 よく飛行機や新幹線において富士山が見えるか見えないかで、気持ちが華やいだりがっかりしたりするものですが、古くから和歌に詠まれた富士山は日本人にとって無くてはならないものになっています。
c0004987_9362142.jpg(岐291・左)
  (岐497・右下) 
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       この時代にも雲をまとった富士山文の大人用茶碗をよく見かけます。少し前はこの文様から海軍用茶碗(飛行機から見える富士山、ということからか?)と呼ばれたこともあったようですが今はただ茶碗としているようです。生産地(生産者)や明治・大正の富士山と比較するとその時代ごとに少しずつ違うことが分かります。
 この茶碗はまったく同じ柄で、生産者が違うというものです。詳しくはまた投稿しますが、
同じ図柄のものは戦時中のものでも昭和18年ごろの物と推測しています。それぞれに『岐291』、『岐497』の緑ゴム印の番号がつけられています。
by richouken04 | 2005-01-03 09:47 | 岐(岐阜県東濃地区)

岐1135の小皿

 新年初めての投稿になりますので、やはりおめでたい図柄のものを選んでみました。
たとえ戦時下の生活であるとはいえ正月は迎えますので、このような図柄を製造したのでしょう。
 c0004987_0402080.jpg青呉須の吹墨で若松と笹(竹)、鶴と梅枝を、釉下彩で紅色をつけ旭日を表現しています。
吹墨の技法は戦時下のやきものにも多く使用されていますが多色使用の製品はなかなか見かけません。人気があるのでしょうか。
 これは『岐1135』の印を持つことから岐阜県瑞浪市の製品だとわかります。
by richouken04 | 2005-01-03 00:42 | 岐(岐阜県東濃地区)

戦時下(S15~S21)に焼かれたやきものを中心として


by richouken04