時のかけら~統制陶器~

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 国民食器という名称はところどころで見かけることが出来るが、工場食器という名称はどうだろうか。こちらは私自身が国民食器と区別するために使用しているが今のところ当時の新聞などで見かけたことは無い。
 特徴は社章らしいマークや社名の文字が付けられているものでそれなりの資金がある大きな会社に限られるのではないだろうか。
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 また、少数ながら学校を示すと見られる『学』の旧字体や病院を示すと見られる『医』の旧字体を用いた緑二重線入り食器類も見られる。病院名のある病院用食器では戦後の製造と見られる高台内に銘の無い食器類も見られるので相応の需要があったのであろう。
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 ・戦後と見られる緑二重線入り食器
 先の『美濃窯業株式会社』によれば戦後も生産を続けたものの、昭和30年代を境に生産を縮小させてゆきました。それでも今でも少数ながら生産は各地で続けられているそうです。
 これは陶片狂さんが入手された絵入り緑二重線入り食器。私自身は最近作られたものだろうと見ています。
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 つづく 
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by richouken04 | 2010-03-24 11:40 | 統制陶器って何?
昭和9年に『厚口食器(二本筋入)』と種別されていたと思われる食器類が国民食器だと仮定すると、では『国民食器』という名称はいつ登場してくるのだろうか?


 そこは私も知りたいところです!

 
 ちょっとブログ風に書いてみましたが、まぁ、それはそれとして・・・

 『国民食器』という名称が見られるのはいつでしょうか。調べてみると昭和17年8月30日の大阪朝日新聞に『伊賀焼の国民食器』という見出しの記事が今のところ、自身の知る中で一番古い記述になります。

 『国策の線に沿う国民食器が制定されようとしてゐる折柄・・・(以下略)』

 この頃にすでに名称が出来ていたことがわかる。ただ、デザインについてはまだ決定されていなかったようだ。新聞記事でも三重県窯業試験場伊賀分場で国民食器の試作が行われたことが書かれている。写真も掲載されているものの、はっきりとデザインがわからない点が残念なところです。

 ・・・・・・

 岐阜県の新聞記事ではどうかというと、手元にきちんとした新聞記事が整っていないので申し訳ないです。
ただ、自身のうろ覚えでは昭和20年の岐阜空襲後に被災者向けに国民食器を配給する(した?)との新聞記事が掲載されています(岐阜県立図書館の新聞マイクロフィルムにて参照)


 つづく 
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by richouken04 | 2010-03-21 15:23 | 統制陶器って何?
 大正時代には登場してくる緑二重線入り食器(まだこの頃は国民食器の名称は付付けられていない)。その後、この食器に関する文献を調べてみると、昭和9年6月10日発行の『美濃の陶業(』なる冊子にそれと思われる記述が見られる。
 『日本陶磁器工業組合連合会生産分野』という項目があり、日本陶磁器工業組合連合会がこの時点で生産品と製造地域を統制していたことがわかる。その中に『厚口食器(二本筋入)』の名称が見られる。これは緑二重線入り食器のことではないかと思われる。

 そこに示された生産地は『瀬戸 岐工聯(岐阜県陶磁器工業組合連合会の略称)(西南部、瑞浪)』になっている。これは瀬戸地区と東濃地域の西南部(多治見・笠原・市之倉)地区と瑞浪地区での生産を許可したとのことで他の地域では生産してはいけないことになっていたのである。

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 統制陶器を見てみると産地を示す記号では『瀬(瀬戸)』・『岐(岐阜県)』・『品(品野)』の三地区がみられる。印銘の付け方や器種はいろいろあるものの次のようになるだろう。(上部・『岐289』煎茶碗、下部・『瀬609』小皿)

 ・茶碗(汁碗形を含む)
 ・湯呑(煎茶碗形を含む)
 ・蓋付き丼
 ・小鉢
 ・皿(丸皿・多角形皿)

 比較的現存数が多いのはサイズはいろいろだが、皿であろう。反対に少ないものは小鉢でこれは戦時下の食糧事情によるものであろうか。


 つづく
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by richouken04 | 2010-03-14 00:26 | 統制陶器って何?
 その他の地域ではどうだったのだろうか。

 東濃地域の瑞浪地区にあった美濃窯業株式会社(統制番号は岐1065)に問い合わせたところ、以下の回答を得ることができた。

 『当社は大正7年8月耐火煉瓦の製造を目的として設立、翌8年地元産業である陶磁器の製造を併業開始しました。大正9年片倉製糸(株)(現片倉工業株式会社)の社員食堂用食器を大量に受注し、以来紡績、船舶、工場、病院等の集団給食用食器のトップメーカーとして定評をいただいてまいりました。
 特に戦前、戦中、戦後と全国的に販売された「グリーン2線」社章(マーク)入り食器は「美濃硬質磁器」としてご愛用をいただきました。
 戦後の復興期から成長期においては再びその最盛期を迎えましたが、昭和30年代に入ると、この市場に化学食器(メラミン、ベークライトなど)が参入し、その取扱い易さなどから陶磁器の市場縮小を余儀なくされました。
 「グリーン2線」の生産開始は大正9年以降と思われますが、確たる記録は不明です。』

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 これは胴部に『片倉 廿周年記念』の文字がみられる湯呑。片倉製糸紡績株式会社(大正9年・1919年に設立)に納入されたひとつであることがわかる。また『廿周年記念(二周年記念)』とあることから大正10年製と推測できる。ただ、高台内には製造メーカーの印は無いため、これが美濃窯業株式会社で生産されたものかは確認できない。

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 こちらは以前紹介したが胴部に『昭和6年10月20日』の年月日が付けられている湯呑。これは記念品として配布されたものだが、この頃には国鉄向けにも食器を造っていたと思われる。
 高台内の扇のマークがこの会社のマークであることは他の製品によって判明している。

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 ちなみにこの製品の登場によって扇マークが美濃窯業のマークと判明した。旧字体の『医』の文字が見えることから病院か医大で使用された食器であろうが、どこかはわからない。


 つづく
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by richouken04 | 2010-03-13 01:08 | 統制陶器って何?
 国民食器と工場食器はどちらも厚手の素地に緑二重線が入る(工場食器にはさらに社章が入る)食器類のことです。茶碗、丼、皿、湯呑の4種類の和食器と肉皿(プレート皿)、スープ皿の洋食器類が存在しています(洋食器についてはまだ種類があるかもしれません)。

 この食器類がいつから登場してくるかはよくわからないところがあります。それは輪線のみのシンプルな文様で構成されているからです。しかし、江戸時代や明治時代の和食器類にはこのような輪線のみの製品はかなり数が少なく一般的ではなかったようです。
 明治時代以降、陶磁器が輸入や輸出されるようになってからは肉皿(プレート皿)にこのような線だけの製品が登場してくるようです。ですから私個人としては、この文様はヨーロッパが発祥だろうと考えています。

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 これは時代はわかりませんが、高台内にドイツ語らしき文字が書かれていることからヨーロッパで生産されたものでしょう。緑線は一本ですが、線の描き方などは国民食器とまったく同じです。

 ・日本での生産はどうだったのでしょうか。
 
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 大手メーカーでは日本陶器(現ノリタケ)がこの手の食器類を生産している。これは緑線が2本入っているものの、国民食器に見られるような緑線ではなく、一本は太く描かれている。日本陶磁器工業組合連合会の取り決めに配慮してのデザインなのかもしれない。他にも緑二重線の間にピンク線が入るものも存在している。
 高台内の裏印はヤジロベー印とも呼ばれるもので明治44~昭和15年ごろまで国内向け食器類に使用されたものといわれる。裏印の使用期間が長いためいつごろの生産品か確認が難しいが高台の作りなどから昭和時代と推定している。



 つづく
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by richouken04 | 2010-03-06 20:38 | 統制陶器って何?

戦時下(S15~S21)に焼かれたやきものを中心として


by richouken04